みなさん明けましておめでとうございます。さあさあ、新春一発目のクローズアップは、佐賀県の「道の駅・桃山天下市」です。地元名護屋(鎮西町)に生まれ、地元をこよなく愛する駅長の袈裟丸満(ケサマルミツル)さん、いったいどんなお話が飛び出したでしょうか…。

〜どうぞよろしくお願いします。まずはいつもの質問です。袈裟丸駅長は桃山天下市にこられるまで、どのようなことをされていたのですか?駅長さんのこれまでの道のりをお聞かせください。

袈裟丸さん(以下=袈):高校生くらいの時期から、漠然とですが将来は南米に行こうと考えていました。この歳になるまで日本にいるつもりなんて、ぜんぜんなかったですね…(笑)。だから、大学受験もスペイン語が学べる大学ばかり、北から南まで日本中受験して廻りました。

どういう事かというと、私たちが若い頃の「南米」って場所は、『何か』がありそうな未開の地だったわけです。私の父も満蒙開拓※1を夢みてそういう勉強をしていたみたいですし、きっと父親の時代の「満蒙」という場所が当時の私にとっては「南米」だったんでしょう。
どうにか、めでたくスペイン語が学べる大学に進学しましたが、今になって思うのは、言葉を身につけるより、技術を身につけることの方が大事だったんじゃないかということですね。次第に私の情熱もさめてしまい、大学時代は野球ばかりに明け暮れて過ごしました(笑)。
卒業後は家業(漁業関連)の影響もあって、大阪の漁網の会社に入社しました。しばらくすると、「帰って来い」という声や故郷への強い愛着もあって、地元に戻って魚市場の営業の仕事に。
船に乗って漁師をしたり、養殖業をやったりしましたが、時代の流れも厳しい状況なんでね…。スッパリと辞めて、試験を受けてこの仕事に就きました。

※1→ 満蒙…なかなか聞きなれない方も多いかということで、補足します。満蒙とは、「満州」と「蒙古(モンゴル)」との併称(昔はよく使われていた)です。満州事変後、日本から中国東北部(この地方)へ農民移民団が多く送り出されました。袈裟丸さんのお父さんの時代というのは、おそらくこの時代をさしていて、当時の人々にとっては「夢のフロンティア」的な場所だったのではないかと思います。あくまでも参考までに…。


〜袈裟丸さんが生まれ育った※名護屋(鎮西町)は、海の味覚や歴史的な名所など、とにかく話題豊富なところですね。?

袈:そうですね。「呼子のイカ」は、最近よく紹介されるようになったし、この先の波戸岬には、漁師のおかみさんが切り盛りしてる長屋(屋台のような)があって、焼きたてのサザエやイカを食べさせてくれるんです。初期から営業されている古いお店は、もう3代にわたって続いていたりします※2
また、ここ名護屋は、みなさんご存知の豊臣秀吉が、朝鮮半島や明国(今の中国)へ向けて出兵する軍事拠点となった場所です。ですから、名だたる諸大名の陣跡が数多く残っていて、2年に1度くらいは大河ドラマで注目を集めたりもします。先日もNHKの取材があって、「山内一豊と千代」(昨年の大河ドラマ:功名が辻)に関して、クイズの出題者をさせてもらいました(笑)。お客さんの目的としては、魚介類を食べたいという方はもちろんですが、歴史が好きで…という方もかなり多いんじゃないでしょうか。
それに加えて最近では・・・、次のページへ

※2→ 波戸岬のおばちゃん長屋…わたしたちも食べてきましたが、目の前で焼いてくれるサザエ・イカは、塩焼き/タレ焼きどちらも絶品!お昼からお酒を飲みたくなるのを我慢するのが大変でした…。


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●袈裟丸駅長:地元、名護屋のことなら何でも聞いて下さい!!

●波戸岬のおばさまたち。なんとなく寒い季節がよく似合います。

●名護屋城趾と博物館。あいにくのお天気でしたが、のんびりとくつろげそうな公園でした。