前号に引き続き、九州道の駅ユーザーズクラブの設立1周年を記念して、今度は、最近いろんな分野で頑張っている元気な「道の駅」にスポットを当ててみました。


〜どうぞ、よろしくお願いします。鮎川支配人さんは、こちらの「道の駅竜北」にこられるまで、どういうお仕事をされていたんですか?

鮎川支配人(以下=鮎):福岡で学生生活を送ってから、東京・大阪でも就職先の内定はもらっていたし、都会に出てみたいなというのもあったけど、長男なので地元の近くがいいのかなということで(出身は宮崎県の延岡)、なんとなく九州の企業にしようと思ったんです。私が就職したのは地場の大手スーパー、当時は拡大路線で元気がいい時期でした。我々の年は、採用者数が60人ぐらいにどっと増えた時期で、ここなら大丈夫かなと思っていたんですけど…。仕事の内容としては、後半は出店開発を担当するディベロッパー的な業務を担当してましたが、入社以来、衣料品ばたけが多くて、主にバイヤーとしての仕事が多かったと思います。



〜(企業の名前ははっきり言いにくいんですが)そうこうしているうちに「民事再生法申請」という憂き目を見るわけですね。

鮎:そうそう。ちょっとおかしくなり始めて、3年続けて“肩叩き”みたいなことがあって、4〜500人が辞めたかな?僕なんかも年齢的には言われていた方なんだけど、なぜか残っちゃったんです。まあ、最後の2年くらいは半分意地みたいなものもあって…。28年間の仕事で学んだいちばん大きなことは、現在もとても役に立っていると思うんですが、現場・特に「お客さん」を大事にするという精神だと思います。道の駅では、生産者という全く新しい側面もありますが、私としてはうちに商売をしにきてくれる「ありがたいお客さん」という思いで接しているんです。会社がなくなるまで踏ん張っていたら、こんなところでこんなことをしている境遇になってしまいました(笑)。


〜その後、どういう経緯でこちらに来られたのですか?

鮎:会社がおかしくなって、倒産というか全員解雇みたいな形になったときに、受け入れサイドのスーパーの入社試験を受けるチャンスはあったんです。だけど、もういい加減いいかなってというところもあって(笑)。そうこうしているうちに、登録していた人材バンクから連絡が入って、支配人募集というお話をいただいたんです。 一般公募で最初20人以上いたのかな?そのうち8割が元同僚、並んでる座っている連中のほとんどを知ってるという状態でした(笑)。 恥ずかしながら、お話を受けるまで「道の駅」について全然知らなかったんですよ。熊本に住んでいながら「竜北町(当時>現在は氷川町)」という地名すら知らなかったし…。たまたま早くに退職されて、ある物産館で働かれている先輩がいたので、「経営がしっかりしている道の駅」をいくつか教えてもらって、そこを訪ねてみることにしたんです。10カ所くらいかな。それをレポートにまとめて提出したのが良かったのかなあと思っています。


〜「道の駅・竜北」には、立ち上げの準備段階から入ったということなんですか?

鮎:そうですね平成14年の5月に採用されたんだけど、3月の段階で受け皿となる施設はほぼ完成していました。だけど、職員に決まっていたのは私一人。大きな施設にポツーンと座っていたんです(笑)。準備期間はわずか3ヶ月、8月にはオープンしようということでね…。そこからは慌ただしく、急に試験される側から、試験をする側になったということです。
魅力ある街づくりが出来れば、若い世代も誇りに思い帰ってくる。そんな取り組みをお手伝い出来るのは素晴らしい事だと思っています。


〜その準備期間が短い慌ただしさって、いろんな所で耳にする気がします。行政主導で動いている事業って「こういうお店にしていきたい」という部分が、ないがしろにされている気がするんですが…。

鮎:私たちの場合、そういう「熱意」みたいなものは、彼ら行政サイドにもあったんじゃないかな。農林水産省の補助をもらってる側面もあって、農家所得の向上という大きな目標もありましたからね。僕は僕で自分の小売業の経験もあるからそれなりの希望はあるので、両者がピシッと最初から噛み合ったかといえば難しいところがあるけど、現場サイドとしての感覚と彼らの地域おこしの感覚、お互いの思いというのは確かにあったと思います。 農家の人たちとのコミュニケーションもほとんど初体験なわけだから……

>>>>


●鮎川支配人:毎日のハードワーク、ごくろうさまです。

●九州の大動脈、交通量の多い国道3号に面しています。

●トイレ前と物産館前、なんと2箇所に「屋根付き身障者用駐車場」があって感心しました。

●生産者のみなさんが紹介されています。