〜本当にさまざまな経験をなさっていますね。その後にここの道の駅に来るんですか?
松:いやいや、まだ続きがあるんです(笑)。 神奈川生まれの嫁さんを貰いましてね、彼女は税理士事務所で今でも働いていて、先生とかもやっているんですけど。そのうち私の実家が跡取りが居ないということになって、熊本に嫁さんを連れて帰って来たんですよ。 近隣の建設会社で経理の職に就いて、500人ぐらいの社員の給料計算をやったり、当時は振込みではなくて現金手渡しでしたから毎月大変でしたけどね。このときにできた建築や土木についての知識や関係者の人の輪が、後の仕事に役立つんですけどね。
十数年勤めたその会社を辞めたとき、嫁さんの仕事も軌道に乗っていたので「家に居ていい」と言われたんですが、結局は熊本の「某スーパー」に勤めることになります。このお店は魚の卸屋が作ったスーパーで、当時は3店舗しかなく、私が経理部長として入った時は帳面も無いような状態で、もう最初から全部やり直しですよ・・・本当に(笑)。
すると、次の年から利益が出始めて、仕入れなんかももちろん学びましたが、それから3年目には社員旅行を提案して実現したり、従業員の制服を導入したり、直接の上司が給与の一部を査定するシステムを入れたり、辞める直前にはパソコンでのデータ管理を進めたりといろんなことをやったんですね。会社らしくして行ったというかね。ここも10年以上働いていましたね。
で、やっとここから道の駅です。スーパーを辞めてしばらくして、前の駅長が「暇なら手伝え」と。それで、気がつけば、「どげんするとね?アンタしかおらんがね」と前の駅長に置いて行かれたというわけですよ(笑)。だから駅は11年目、私ももうここで10年目ですかね。
〜駅長の人生って紆余曲折ですねぇ。道の駅自体も維持して行くのが大変だったと聞いていますが。
松:そうですね、もちろん経理や経営の方は元々やっていたんですが、ここは本当に何にも無い場所でしたから、何をしていいかも全然分からないまま始めていました。商品棚自体のスペースも当初は小さくて利益も全然上がらなく。 自分たちがメシが食えればいいが・・・という所からのスタートだったんです。それをレストランを充実させたり、売場を広げたりして今のカタチに拡張して行ったんですね。 そんな中で、以前の職場で持っていた建築や土木の知識や人脈、そして商品を仕入れたりする上では、スーパーで得た流通のノウハウやつながりを持っていたことが大きな助けになりましたね。
〜これまでのさまざまな貴重な経験が力になったということですね。10年と言うと九州の道の駅の中でもかなりのキャリアをお持ちですが、この土地でやっていくことで、他にどんな苦労がありましたか?
松:10年かぁ・・・、古くなっちゃいました。古狸だなぁ(笑)。この土地ということでは、坂本という所は、災害と隣り合わせの村なんです。梅雨の時期に崖崩れが起こると、昨年なんか3ヶ月近く通行止めになっていたり。それでも持ちこたえなければいけないから大変なんですよね。しかも扱っているものも日用品ではないから、地元の人も毎日は来ないし。 でも地域とのつながりは本当に大切なんですよ。例えば ・・・・ 次ページへ >>>>

●魚道とは、ダムを越えるお魚たちの通路。結構な坂道ですねお魚さん!